Kitto 自己満の随筆ブログ

日本の小説をこよなく愛する香港出身の者による読書感想やふとした日常の綴りが中心になるブログです。

ふがいない僕は空を見た 窪美澄

妻が映画でこの作品を知ったらしく僕に紹介してくれた。裏の紹介文の”高校生が年上の主婦と週に何度かセックスをしてる”という一文に目を奪われたのがこの作品を読む理由だった。

 

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読み出すと官能的な部分は僕を裏切ることもなく期待通りの内容だった。

しかし、本の帯に”泣ける”という宣伝文句にも気になって、一体最後はどんな結末になるのだろう?だんなストーリーなのだろう?と興味津々。

 

僕のような単純な男が他にもいたのだろうか?そんな僕らのために作者が用意してくださったとも言える最初の章”ミクマリ”は見事にすごい内容だった。けれどセックスのシーン以外どこか哀愁感も漂っていた。

そのあとの章も統一したこの”哀愁なトーン”で物語が展開された。

簡単にいうと章ごとに登場人物それぞれの視点によるストーリーのその後展開を叙述したスタイル。その登場人物がそれぞれが抱えている悩み、葛藤なども詳しく書かれていた。

それによってストーリー全体も登場人物全員もなんだが暗い雲に覆われている感じがした。けれどそれは決して真っ暗な雲ではなく、晴天の下に暗い雲がかかっているだけで、その隙間から時々差し込む光を見せてくれている。暗い話ではあるけれど読み手にはいやな気分をさせない。

 

どの章も性に関する話があり、それがその登場人物にとっての負の一面もある。性もしくはセックスはいつも快楽、快感のようなイメージを人々に与えるけれど、性の問題で人によって人生を苦しむ種でもあるのだ。性をもっと”大人”の目線で向き合うことが勉強になったのではないかと思う。

そして、もう一つ性に関する問題も作品を通して作者が教えたかったのが出産のことなのではないかと思う。

本能の赴くままに行ったセックスのあとは、場合によって一つの尊い命がやってくる。

気軽にセックスしたりして、重大な責任を感じることもなく、挙句その後苦しみの人生を過ごすことに。

 

男女による体の快感やその生理的な感受性だけではなく、考え方次第、やりかた次第、実は”性”はやっかいなものでもあったりする。たかが”性”だと思われがちだが、いろんな意味で本当に意味深いテーマであって、そんな軽い気持ちで考えてはいけない気がする。

これが作者が教えたかったテーマかどうかはわからないが少なくとも僕はそう教えられた気がした。