Kitto 自己満の随筆ブログ

日本の小説をこよなく愛する香港出身の者による読書感想やふとした日常の綴りが中心になるブログです。

白夜行 ー 東野圭吾

この作品に出会ったのがおよそ15年前からだろう。日本語の勉強を始めた頃だった。

 

小説ではなくドラマのほうだった。

一話を見たあとなぜなのかは覚えていないけど、続けて見る気なかった。決して物語に対して興味を持っていなかったのではなく、むしろ非常に興味のある題材である。

 

おそらくまだ若かったというのもあって、作品の暗さに圧倒され見る元気をその時は持てなかったのではないかと今は思っている。

 

そして、15年が経った今(なぜか作品の中みたい、笑)、本を読むようになった今、まさに絶好なタイミングとしてこの作品との再会を果たすチャンスが訪れた。

 

作者の著作の中でも屈指の名作であるこの”白夜行”は、かなりの長編であって、タイトルからもかすかに漂う暗さもあるため、読むのに相当な”体力”はいるのだろうと思ったが、実際読み始めると、案外”疲れ”を感じることなく、すらすらとまでは行かなくても、意外に頁がどんどん捲られていく、気づいたら、いつの間にか右のほうの紙の枚数が左のほうより増えていた。

 

やはり物語の複雑巧緻さが圧巻だった。これほどの内容を小説に書き下ろした東野圭吾さんの筆力は本当にすごいとの一言に尽きる。

 

そして、読み終わった後の余韻がまたすごい!

亮司と雪穂二人の人生を振り替えたり、あの時はこうだったのか?あー なるほど!ここで繋がったんだ!のを一つ一つの場面の経緯を詳しく調べたり、ネットの考察ページまで漁ったりするほど、物語の壮大さに引き込まれている。

 

それからおそらく作者が故意に明かさなかったいくつの謎も、読み手の想像によってその人物の心境の変化もあって、感じるものも当然違うので、あえてこんな狙いがあったのではと思う。

 

しかしそんな謎の真相というよりも、僕がもっと知りたいのは物語全体の時系列における二人の繋がりだ。

 

カバーの背面にも書いてあったように、物語は一つの殺人事件から始まった。

父を殺された”被害者”の息子の亮司と”容疑者”の娘の雪穂、この二人のその後の人生と事件との関係性が主な内容となる。

 

作者が直接二人の視点から描写したことがなく、終始二人の周りにいた人物の視点から二人のその後の人生を描いたという手法だった。

 

その登場人物の多さもまたすごい。それが長い期間飽きもせず読めた一つの理由かもしれない。

 

事件を担当した刑事、事件の関係者、それぞれの家族、その後の人生で出会った友人や家族などなど、様々な人からの視点でその後を描いた。

 

二人の人生は一見事件後は全く接点がなくなったように見えるが、実はどこかに些細なつながりがあったり、物語が進むにつれ、そのつながりが濃くなったり、二人は表では決して同時に登場したシーンはないけれど、実はずっと繋がっていて、二人の人生の様々な場面で交錯して、表では自分の道を歩むように見えるけれど、裏では深い絆で結ばれていることが二人の狡猾さ、恐ろしさも垣間見ることができた。

そして、二人の人生の暗さ、切なさも見事に描写できていた。

 

自分の感想に過ぎないのだが、読んでいるうちに残りのページが少なくなった時、”いや、まだ事件の解明はしないの?あれはどうやって?どういうことだった?”とか、自分の中で気になっている謎?もしくは事件当時の詳細?があるのに、物語はまだ解明してくれる兆しがない。

 

その時うっすら考えたことがあった。”もしかしたらこういう終わり方なのかも?だって実際時効が過ぎた19年前の事件だし”と。

 

案の定というか、正直なところ、少しもの足りない結末にはなっていたのかなと、あんなに大きいスケールに描かれた物語なのに、もっと壮大な結末が必要なのだろうといわゆる”素人”並みの発想があったと思う。

 

あくまでも自分が気になる。気を済ませたいという気持ちがあっただけに過ぎない。

 

実際、二人のことを触れずこの終わり方のほうは余韻を引き起こせるし、もちろんおしゃれだった。それに、二人の人生の切なさも、作品の暗さも昇華させたと思う。

 

また僕には多い原作からの映画化もしくはドラマ化されていたパターンで、無論映画もドラマも見てたい気になった。ドラマなら正真正銘の再会になる。

 

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