Kitto 自己満の随筆ブログ

日本の小説をこよなく愛する香港出身の者による読書感想やふとした日常の綴りが中心になるブログです。

入社1年目のメール仕事術 中山真敬

 

入社1年目のメール仕事術 中山真敬

 

初めて図書館で借りた本で、新しく入社してやる気まんまんで、メールについてもっと勉強したかったという気持ちがあった。

 

まあ、入社一年目というと新社会人のイメージ、あるいはその代名詞なのだが、私の場合は転職後の入社一年目なのだけれど、前職はサラリーマンではなかったため、メールの経験は実はそんなに多くない、なので、この本は結構タイムリーとも言える。

 

読んだのはほとんど会社までのバスの移動時間の中だった。内容は作者がいつも主張していたように”簡潔”だった。難しいこと、難しい言葉も特に使われていなかったし、重要なポイントを簡潔に挙げていって、バスの移動時間でもけっこうすらすら読めた。

 

けれど、内容が役に立ったかどうかというと、そこまでではなかった。おそらく自分が少し期待しすぎたのかもしれない。もっと知らないメールの技?を期待していた自分がいた。

 

 

実際書いていた内容はほとんどメールの基本というような内容、つまり私が大体知っているような内容だった。

 

ネットでもちょっと調べたら大体出てきそうな内容しか書かれていない、そういう意味では少し期待外れという感じだった。しかしよく考えたら、入社一年目というタイトルなのだから、何も知らない真っ青な新社会人のための本なのだから、こういうメールの基本を書くのはあたりまえ、むしろ書くべきだ。

 

自分がほとんど知っていたというのはもう新社会人ではないという証拠だ。メールについては完全なる初心者ではなく、少しは実戦経験のある社会人という証拠とも言える。

 

安心して読めた部分もあったかもしれない。唯一気になっていた点は作者はかなりキーポードの操作に気になっているほうだと思う。かなりの説明でショットキーの説明をしていた。確かに大事かもしれないけど、それができないと仕事がかなりだめになるようには私はあまり思わない。そこだけあまり共感できなかった。

 

図書館の返却期間もあって、時間を気にしながら早いペースで読んでいた。

結論からいうと、なるほど!へぇーーーーーという場面はほとんどなかったが、メールのやり方やマナーなど再認識もできた。読んでよかったと思う。

 

 

 

 

入社1年目のメール仕事術』|感想・レビュー - 読書メーター

 

死にぞこないの青 - 乙一

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義父の本棚から手に取ったこの一冊、ホラーの話ということで興味本位で読んだのだが、実際そうではなかったのようだった。

 

知らない作者でタイトルを見て、読みやすそうな感じがしたので、読んでみた。

あくまでも自分の個人的な感想なのだが、主人公がいじめに遭い、その心境についての描写があまりにも長く、正直やや多すぎなのかなとさえ感じた。

読んでいて鬱陶しいと感じたのも何回かあった。主人公がかわいそうで、無力という気持ちは十分伝わった。けれどそんなネガティブ、負の言葉や文章をずっと読んでいるのが堪えられなかったのが正直な気持ちだった。

 

物語の内容も重い話というレベルではないけれど、おそらく作者がいじめに対して訴えたかったのかもしれないのだが、読む側としてはそこまで心を打たれたり、共感を得るものはあまりなかった。

物語の展開も正直そこまで面白くないと思った。期待をしすぎたかもしれない。

もっと痛快な反撃劇を期待していたのもあった。

 

なので、読むペースは非常に遅かった。文章は読みやすかったとは思うけれど、刺激が足りない、おそらく相性が合わない作者だったと思う。

戻るぜよ!あの世界へ

戻るぜよ!あの世界へ

 

これは10年ほど前、"仁JIN"というドラマの名ゼリフだった。

 

南方先生に坂本龍馬が話しかけたセリフ。

 

僕はこのドラマ見て特にこのセリフが印象深かった。

 

10年ほど前、ちょうど東京の留学が終わり、香港に帰ってきた。事情があって日本での就職をあきらめ、夢がそこで断った。

 

留学して日本で暮らし出したら、自分でも理由が分からず、とにかく日本が好きでずっと居たかったのだ。

周り同じ留学生の香港人らはやっぱり香港がいいとか言う人も多かったけれど、僕はその反対だ。

 

不本意の帰国だった。

 

 

それでも前に進むしかなかったので、香港で就職し、日本の会社に勤めたが、描いていた環境と違い、せっかく日本語がある程度上達したし、もっと日本語を生かせる場所へとガイドの仕事を始めた。そこから9年間。。。

 

 

戻るぜよ、あの世界へ

 

生活に慣れて日本から段々遠ざかっていたけれど、そのかわりに日本語も仕事により一段レベルアップできた。人脈も日本人とのビジネスの経験もそれなりに築かれた。

 

今思えば、無意識に地道に実は準備してきたのかもしれない。種は既に撒かれていた。

 

妻に出会い、結婚したのがきっかけで宮崎とのゆかりを持つようになった。

 

香港と違い、自然豊かな宮崎に惹かれ、今まで自分の知っていた東京の日本よりも自分の中の日本像に近いかもしれない。

 

ここで暮らせたらと薄々思うようになった。

 

しかし、香港の生活もあり、その時はまだ日本への移住を考えもしなかった。年に1、2回の帰省で息抜き程度でむしろ観光気分で散財したりして楽しい時間を過ごせてきた。

 

時間の流れというか、めぐり合いというか、娘も生まれ、もはや当分香港でやって行かなきゃならないというような環境になってきているにもかかわらず、撒いていた種が知らず知らず養分を蓄え、咲く日がやってきた。

 

生活の変化で日本で暮らしたほうが自分自身にも家族にもプラスになるのを日々考えるようになり、順風満帆というほどではないけれど、わりととんとん拍子で転職、移住の意思が固まり、実行した。

 

タイミングというやつだね。

 

やろうと思えばかなり前からも出来ていたかもしれないし、けれどなかなか踏み出せず、変化を恐れていた。

 

自分も含め、いろいろな人物、物事の歯車が動いている中、一度みんなが見事にそれぞれの歯にうまく噛み合った瞬間、カチンと音が鳴ったような感じで、全てが決まった。

 

戻るぜよ!あの世界へ

 

 

10年越しにめぐり合った夢の続き、今度こそ前回叶えなかった夢、見れなかった景色を全力で前へ突き進みたい!

 

舞台を宮崎に変え、そこで自分の新たな歴史を刻んでいく。

 

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アクアリウム日記 30cm 水槽 手放す編

家にある2つの水槽は立ち上げてから、気がつけばもう10カ月が経った。

 

今回は30cm水槽について書こうと思っている。

 

去年の3月、娘が幼稚園の遠足で金魚すくいしてもらった金魚をきっかけに、パパのアクアリウムライフの始まりとなった。

 

水草水槽は憧れだったのだが、事前勉強もそんなにしてこなかったし、もっとも娘がもらってきたのが金魚だったというのもあって、何も飼育道具がうちになかったから、急いで買ったのがこの30cm水槽だった。

 

そう、事前勉強と計画をしていたら、絶対これを買わなかった。最初から後に買った45cm水槽だけにしたのだった。

 

金魚の住処として始めたわけだが、実はアクアリウムの知識がなくて(あくまでも幼少時父がやっていたのを見て見真似しただけで)、案の定、何匹の子を犠牲にしてしまった。

 

この水槽をきっかけにしたかったアクアリウムライフはやっと始められて、そこから勉強しながら続いていた。

 

水の作り、バクテリアの養殖、ろ過の基礎、後に45cm水槽も初めて、水草の知識も一通り猛勉強して一応素人から初心者になったわけだった。

 

そして、飼っているミッキーマウスプラティの出産も経験して、グリーンウォーターの戦いなどもこの30cm水槽と共に歩んできた。

 

最後はコケまみれだった水槽にイシマキガイを入れたことで魔法がかかったようにきれいになって以来、ようやく安定してきた。

 

しかし、自分の転職によってとうとうこの水槽と別れる日がやってくる。

 

転職が決まって家族ごと日本に移住することになったから、もちろん水槽なんかはとても持っていけないので、2つある水槽(30cmと45cm)のうち、45cmのほうは実家に引き継いでもらって、残念ながらこの30cm水槽は手放しをせざるを得なかった。

 

ミッキーマウスプラティの稚魚ら、イシマキガイを45cm水槽に引越しさせ、がらんとなったこの30cm水槽、家の引き払う日まで水の流れを止めることなくそのままろ過していた。なんとなく風水の考えもあったし、なんといってもせっかく立ち上がったバクテリアをもったいなくて捨てられない。

 

ネットに出品を試みたけどなかなか買い手もいなくて、幸い最後に住んでるマンションの管理人に水槽ごとをもらってもらったから、そのまま捨ててしまうよりはずっと良かった。

 

こうして、30cm水槽とはおさらばした。

ど素人の僕の練習台とも言えたこの水槽は思い出深い水槽だった。

 

ダサいかもしれないけれど、感謝したい、楽しい時間をありがとう。

 

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涙そうそう ー 吉田紀子、吉田雄生

この本は10年前留学時買った本で、その当時まだそんなに読解力がなかったせいか、かろうじて途中まで読んだまま実家の本棚に放置していた。最近ようやく掘り出されて、今度こそ読み倒そうと。

 

 

さて、感想を書きます。

 

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また僕の王道パターン、映画化される作品。本当によくこの手の小説を買うんだなと自分でも笑ってしまいます。薄っぺらな本読みですね。

 

 

感動作というだけあって、とても共感できた話だった。テーマは兄妹愛の話、しかしそれは再婚同士の兄妹であって、所詮血のつながりのない兄妹、そこから芽生えた感情によって様々な葛藤、気持ちの変化、兄妹だからそれ以上踏み出せない二人の運命、心に秘めた思いなどなど、よくある話だけれど、読んでいてつまらないと思わなかった。

 

 

設定は普通だが、複雑な展開もなく落ち着いた気持ちで読めた。主人公の洋太郎の人生に感情移入もしやすかった。

 


どこまで感動したかは個人差があると思うが、文章を追っていくうちにやはり心を打たれることになる。

 


切ない、純愛という言葉がよく似合う作品ではないかと思う。

 

 

最後の展開は正直少し予想しなかった。わぁー
いやだな!と思った。
ある種の読み応えとも言えた。

 

 

終始落ち着いた気分で読めた作品で、一番良かったと思うところは人物それぞれの心境の描写だ。難しい言葉はあまり使われていない、けれど読む人間には着実にそれを伝わっている。
そういう文章力はすごいと思う。

 

白夜行 ー 東野圭吾

この作品に出会ったのがおよそ15年前からだろう。日本語の勉強を始めた頃だった。

 

小説ではなくドラマのほうだった。

一話を見たあとなぜなのかは覚えていないけど、続けて見る気なかった。決して物語に対して興味を持っていなかったのではなく、むしろ非常に興味のある題材である。

 

おそらくまだ若かったというのもあって、作品の暗さに圧倒され見る元気をその時は持てなかったのではないかと今は思っている。

 

そして、15年が経った今(なぜか作品の中みたい、笑)、本を読むようになった今、まさに絶好なタイミングとしてこの作品との再会を果たすチャンスが訪れた。

 

作者の著作の中でも屈指の名作であるこの”白夜行”は、かなりの長編であって、タイトルからもかすかに漂う暗さもあるため、読むのに相当な”体力”はいるのだろうと思ったが、実際読み始めると、案外”疲れ”を感じることなく、すらすらとまでは行かなくても、意外に頁がどんどん捲られていく、気づいたら、いつの間にか右のほうの紙の枚数が左のほうより増えていた。

 

やはり物語の複雑巧緻さが圧巻だった。これほどの内容を小説に書き下ろした東野圭吾さんの筆力は本当にすごいとの一言に尽きる。

 

そして、読み終わった後の余韻がまたすごい!

亮司と雪穂二人の人生を振り替えたり、あの時はこうだったのか?あー なるほど!ここで繋がったんだ!のを一つ一つの場面の経緯を詳しく調べたり、ネットの考察ページまで漁ったりするほど、物語の壮大さに引き込まれている。

 

それからおそらく作者が故意に明かさなかったいくつの謎も、読み手の想像によってその人物の心境の変化もあって、感じるものも当然違うので、あえてこんな狙いがあったのではと思う。

 

しかしそんな謎の真相というよりも、僕がもっと知りたいのは物語全体の時系列における二人の繋がりだ。

 

カバーの背面にも書いてあったように、物語は一つの殺人事件から始まった。

父を殺された”被害者”の息子の亮司と”容疑者”の娘の雪穂、この二人のその後の人生と事件との関係性が主な内容となる。

 

作者が直接二人の視点から描写したことがなく、終始二人の周りにいた人物の視点から二人のその後の人生を描いたという手法だった。

 

その登場人物の多さもまたすごい。それが長い期間飽きもせず読めた一つの理由かもしれない。

 

事件を担当した刑事、事件の関係者、それぞれの家族、その後の人生で出会った友人や家族などなど、様々な人からの視点でその後を描いた。

 

二人の人生は一見事件後は全く接点がなくなったように見えるが、実はどこかに些細なつながりがあったり、物語が進むにつれ、そのつながりが濃くなったり、二人は表では決して同時に登場したシーンはないけれど、実はずっと繋がっていて、二人の人生の様々な場面で交錯して、表では自分の道を歩むように見えるけれど、裏では深い絆で結ばれていることが二人の狡猾さ、恐ろしさも垣間見ることができた。

そして、二人の人生の暗さ、切なさも見事に描写できていた。

 

自分の感想に過ぎないのだが、読んでいるうちに残りのページが少なくなった時、”いや、まだ事件の解明はしないの?あれはどうやって?どういうことだった?”とか、自分の中で気になっている謎?もしくは事件当時の詳細?があるのに、物語はまだ解明してくれる兆しがない。

 

その時うっすら考えたことがあった。”もしかしたらこういう終わり方なのかも?だって実際時効が過ぎた19年前の事件だし”と。

 

案の定というか、正直なところ、少しもの足りない結末にはなっていたのかなと、あんなに大きいスケールに描かれた物語なのに、もっと壮大な結末が必要なのだろうといわゆる”素人”並みの発想があったと思う。

 

あくまでも自分が気になる。気を済ませたいという気持ちがあっただけに過ぎない。

 

実際、二人のことを触れずこの終わり方のほうは余韻を引き起こせるし、もちろんおしゃれだった。それに、二人の人生の切なさも、作品の暗さも昇華させたと思う。

 

また僕には多い原作からの映画化もしくはドラマ化されていたパターンで、無論映画もドラマも見てたい気になった。ドラマなら正真正銘の再会になる。

 

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仕事納め、"変"な一年でした。

仕事納め。

 

 

ひょっとしたらこれはこの"仕事"の納めになることもあるかもしれません。なんとなくそんな気がします。笑

 

 

 

今年は本当にすごい一年でした。
カッコつけて一文字で喩えると"変"な一年でした。

 


まずは、大変の"変"です。

 

ご存じの通り、今年の香港は前代未聞の政治問題が発生し、未だ収まる気配は感じません。
僕を含め、家族やたくさんの友人の生活に甚大な影響を与えました。

 

 

もう一つの"変"は変化の"変"です。
僕にとって、結婚に次ぐくらい大事な変化かありました。

 


2、3年前からずっと悩んでいた日本への移住、ようやく今年の渦巻にうまく導かれて実行することになりました。
10年近く続いていたガイドの仕事を卒業し、転職し新天地に飛び込みます。

今年、今まで香港でお世話になりました数え切れないほどたくさんの方々に感謝の気持ちを伝えたいです。
ありがとうございました。